特殊部隊 2016 8 28

書名 国のために死ねるか
    自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動
著者 伊藤 祐靖  文春新書

 この本は、海上自衛隊に特殊部隊を創設した著者の思想を語った本です。
さて、なぜ、海上自衛隊に特殊部隊が必要だったのか。
 時は、1999年まで遡ります。
日本海に超高速の不審船が発見された。
 最新鋭のイージス艦「みょうこう」が全速力で、
不審船を追跡した。
 「海上警備行動」が発令され、不審船を停船させ、
自衛隊員が不審船の立入検査に臨むことになった。
ここで、海上自衛隊の隊員は死を覚悟したでしょう。
 そもそも、海上自衛隊の戦いとは、
ミサイルや大砲を撃ち合って戦うものであり、
海上自衛隊の隊員は銃撃戦の訓練は受けていなかったでしょう。
 ましてや不審船は武装していて、
不審船の乗組員は、高度な訓練を受けた工作員でしょう。
 そこへ、ろくに銃を撃ったことがない隊員たちが乗り込んでも、
全滅することは見えていたでしょう。
 しかし、立入検査隊の若い隊員たちは、
実に、清々しい表情で、準備を終え、
「航海長、あとは、よろしくお願いします」と言ったそうです。
 これは、太平洋戦争の末期に、
鹿児島県の知覧基地から飛び立った特攻隊と似たような状況でしょう。
 政治家の「不作為」によって、
若者が死を覚悟するのは、何度も繰り返されるのか。
政治家は生き残り、若い兵士は死ぬのか。
 さて、このような事件があって、
やっと、海上自衛隊に特殊部隊が創設されました。

ひとひらの桜 2005 8 15

「ひとひらの桜」
 飛行機の操縦も未熟な若者が、操縦席に乗り込んだ時に、
ひとひらの紙片ような、いや、ひとひらの桜が落ちてきたのです。
 それは、ひとひらの雪のように消え、
そして、若者の命も、ひとひらの雪ごとく消えていったのです。

知覧 2004 2 7

 鹿児島県に、知覧町という小さな町があります。
太平洋戦争の末期に、この町の知覧基地から、飛び立った飛行機は、
わずかな燃料と、大きな爆弾を積んで、
巨艦に見える「敵の戦艦や巡洋艦」に体当たりして、消えました。
 この飛行機を操縦していた者は、すべて若者でした。
戦力に、圧倒的に差がある場合に、
このような戦い方になってしまったのは、悲劇です。








































































































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